同田貫正国は、凄まじい切れ味と、装飾を一切排除した実質剛健な造りが特徴の剛刀です。
同田貫正国はいつ頃誰が作った刀?
同田貫正国は安土桃山時代、九州肥後国菊池で活躍した刀工です。
戦国武将・加藤清正のお抱え刀工でした。
元の名は小山上野介信賀と言いましたが、主である加藤清正から正の一文字を授けられ、正国となりました。
正国の兄もまた刀工で、国勝と言いましたが、こちらは加藤清正の清の一文字を授けられ、同田貫清国となっています。
同田貫の特徴は、凄まじい切れ味と、装飾を一切排除した実質剛健な造りです。
そのため、観賞価値には欠けるという評価を受けていますが、清正はこの作風を大変気に入っていたと言われています。
同田貫は「どうだぬき」? 「どうたぬき」?
これは、正しくは「どうだぬき」です。
「どうたぬき」という読みが広がってしまったキッカケは「子連れ狼」というテレビドラマでした。
主人公の愛刀が「胴太貫(どうたぬき)」という想像上の刀で、これが実在する同田貫(どうだぬき)より有名になってしまったんですね。
「子連れ狼」とは
柳生一族の手により妻・薊を失い、遺された息子・大五郎と共にさすらいの旅に出た、水鴎流剣術の達人で胴太貫を携えた元・公儀介錯人拝一刀の物語。単行本の部数は日本国内830万部、全世界1180万部以上を記録した。
後に、大五郎を主人公にした続編『新・子連れ狼』や『そして – 子連れ狼 刺客の子』が制作された。原作は小池一夫、作画は森秀樹が担当。映像化作品一覧
映画
子連れ狼 (若山富三郎版)
子連れ狼 その小さき手に – 2017年にハリウッド映画としてリメイク版制作予定。
テレビ
子連れ狼 (萬屋錦之介版)
時代劇スペシャル 子連れ狼
子連れ狼 (高橋英樹版)
子連れ狼 (北大路欣也版)
ゲーム
子連れ狼 (アーケードゲーム)Wikipediaより
同田貫正国の所有者たち
戦国武将・加藤清正
加藤清正は、尾張の刀鍛冶の息子として生まれました。
3つの時に父が亡くなり、10歳前後の頃、遠い親戚だった秀吉の小姓となります。
秀吉からは将来を期待され、とても可愛がられました。
清正もその恩に報いるべく秀吉に忠義を尽くし、やがて賤ヶ岳の七本槍の一人にも数えられる猛将となり、天正14年(1586年)にはとうとう肥後の大名にまで登り詰めました。
この清正には、握りこぶしをぱくっと口に入れることができるという妙な特技があったそうです。
幕末、同じ特技を持っていた新選組局長・近藤勇はこの加藤清正を尊敬し、「清正公のように出世したいものだ」と言っていたそうです。
近藤もまた生まれは武家ではありませんでしたから、武家の出ではないにもかかわらず大出世を遂げた加藤清正やその主君である豊臣秀吉には、ことさらに強い憧れがあったのかもしれませんね。
同田貫の試し斬り「天覧兜割り」
同田貫一派は幕末になっても受け継がれ、明治19年(1886年)11月10日、その名を世に轟かせることになります。
この日、東京府麹町区紀尾井町(現千代田区)の伏見宮貞愛親王邸に明治天皇の行幸があり、弓術や鉢試し、席画、能楽、狂言などが催されました。
そこで、剣豪・榊原鍵吉が同田貫正次を用いて鉢試しを行ったところ、明珍作の十二間筋の兜に切り口3寸5分(約10・5cm)深さ5分(1.5cm)斬り込みを入れ、鉢試しは見事成功となりました。
世に言う「天覧兜割り」です。
榊原鍵吉は動乱の幕末を生き抜き、数多の真剣勝負を制してきた剣豪で、珍妙は室町末期当時、「日本最高の甲冑師」と評された人物ですから、さぞや見物の鉢試しだったのことでしょう。
榊原鍵吉には伏見宮貞愛親王より10円が下賜されました。
(当時の10円は、現代の貨幣価値に換算すると20万円くらいです)