【今剣】源義経が自刃の際に使用した短刀

今剣は、天才的な戦の才を持ちつつも悲劇的な運命をたどった鎌倉時代の武将・源義経所用の短刀です。

今剣はいつ頃、誰が作った刀?

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今剣は平安時代の名匠・三条小鍛冶宗近の作で、宗近自身が鞍馬寺に奉納した刀だといわれています。
(別説もあり)

その鞍馬寺に、鎌倉時代初期の1170年頃、一人の少年が預けられました。
少年の名は牛若丸。後の源義経です。

牛若丸が鞍馬寺で過ごしたのはおおよそ3年間ほどでしたが、子供の頃から非凡な才を見せていたようで「将来は鞍馬寺を背負って立てる人材だ」と周囲から大きく期待されていました。
しかし、当の牛若丸は自分に源氏の血が流れていることを知ると平家打倒を強く夢見るようになり、僧侶になる将来を拒みます。
そして、とうとう寺を出奔することになりました。

牛若丸が旅立つ日、寺の別当であった蓮忍は三条宗近の刀を「今剣」と命名し、牛若丸に与えたといいます。

蓮忍は、どこかで分かっていたのかもしれません。
牛若丸の才気や自由闊達な精神は、彼の人生を決して平穏無事なものにはしてくれないだろう、と。
だからこそ寺に伝わる名刀に祈りをこめて、義経の守り刀としたのでしょう。

義経はこの今剣をいつも肌身離さず携行し、戦の際にも鎧の下に忍ばせていたそうです。

今剣の所有者、義経

鞍馬寺を出た義経は、奥州藤原氏を頼って平泉へ下り、そこで武芸の鍛錬に励む日々を数年を過ごしました。

しかし、兄・頼朝が平家打倒を掲げて挙兵すると、それに応じて頼朝の下へ参じ、次々に武勲を立て、ついには壇ノ浦の合戦で勝利を納めて宿敵・平家を滅亡させるに至ります。

けれどもその武功は讃えられるどころか、兄・頼朝との関係を悪化させる原因となってしまいました。
頼朝が義経の才気と力を恐れ、警戒し、義経を疎んじるようになったのです。
頼朝から執拗な迫害を受けた義経は、結局、落ち延びた平泉の地で妻子と共に自刃するという悲劇的な結末を迎えることとなりました。

その自刃の際に義経が使用した刀が、蓮忍から守り刀として授けられた今剣だったと言われています。

守り刀というのは元来、戦闘に用いる武器ではなく、悪いものを寄せ付けないためのお守りのようなものです。
義経が肌身離さず身に着けていたというそれは、彼にとって心の支えのひとつだったのでしょう。
そんな今剣を、妻子と自分の命を絶つために抜いた時、義経は何を想ったのでしょうか。

ちなみに今剣の現在の所在は不明。
実在したかどうかも定かではないという見方もあります。

少年時代の義経が鞍馬寺で過ごした頃を描いた少年漫画
「遮那王 義経」

「義経がふたりいた!」という斬新な発想で描かれています。義経の生涯そのものは結構有名なので、ラストもなんとなく想像がつくはずなのに、読み始めたら何故か止まらなくなる不思議な面白さ…。

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